観劇日記「紫式部異聞」
忙しさにかまけ だいぶ前のことになってしまったが、劇団四季で長く活躍された畏友天野陽一さん率いるAMSの「紫式部異聞」の観劇 日記を記しておきたい。 舞台芸術はとかく制約条件が多い。それは金銭的な場合もあるし 金銭的でない場合もある。 例えば1800年代後半 パリで隆盛を極めた グランドオペラ などはよく 第2幕でバレエが用いられたが、それは劇場のパトロン貴族が飲み食いした後 遅れて 劇場にやってきた時に、貴族の愛人である ダンサーが 第2幕で踊り始めるといった「経済的理由」があったようである(それを打ち壊したのがワーグナーの「タンホイザー」であると言われる。ワーグナーが芸術至上主義たり得たのは ルートヴィヒ2世という経済的制約を無視しうる パトロンがいたことも無視し得ない)。 また人気歌手を活躍させるためのドラマとは 必ずしも関係があるとは言えないアリアなどもそのような例と言えよう。 AMS の舞台は、スタジオの発表会でもあり 純粋にドラマのみの要請で劇を推し進めることは難しいし無理であろうと思う。予算も無限ではない。 しかしながら今回 紫式部異聞を見ていて心から驚嘆したのは、AMS の生徒さんにしかるべく 役を与えながら ドラマの流れが全く中断されていないという、恐るべき完成度であった。 天野陽一さん扮する権力者 藤原道長がその娘を帝の后にする、その娘につける 女官として 紫式部を配する中で「素晴らしい物語」 を集めていくというプロット、この物語集めの中で、ドラマを阻害することなく生徒さん一人一人に見せ場を与えていく天野さんの構成力はさすが であると思う。 歌と踊りも天野さんの踊り、ゲストダンサー「バレエ」でありながらドラマに必然性を与える踊りはもちろん、帝や彰子なども素晴らしかった。 プロデューサーとして 舞台の構想から(資金集めも含めた)計画、歌手・俳優として舞台に立ち、音楽から美術から指導まで全て成し遂げ、音と歌と踊りとドラマと美術の融合体 である総合芸術を作り上げた畏友天野陽一さんに、惜しみない賛辞を送りたいと思うと共に、やはり「次」も期待してしまうのである。