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ブラームスと「ハンガリー舞曲」裁判

ブラームスのハンガリー舞曲 をご存知だろうか? 元々は ピアノ連弾用として発表され、その後 管弦楽用などに編曲されていった。 2023年3月26日小学1年生になった長男との思い出作りのために【子ども音楽会】で、ブラームスハンガリー舞曲第5番を 連弾してきた。 https://youtu.be/c5_KG1HGL00 さて素人親子の拙い演奏をさらしたついでに、弁護士らしく法律ネタをひとつ(笑) このブラームスのハンガリー舞曲集、ブラームスの発表当時、ブラームスがレメーニの著作物を勝手に使ったということで、レメーニから裁判を起こされているのである。 もちろんブラームス当時の著作権法と、現代の著作権法では考え方が違う部分も多い。しかし、このブラームスハンガリー舞曲訴訟は、現代の著作権法に照らしても「ありがちな」争点及び判断となっているのである。 ハンガリー舞曲はジプシー音楽(ツィゴイネルワイゼン)の形式に沿い、チャールダッシュの形で作られているものが多い(緩やかな部分と急速な部分を続けた舞曲)。 ブラームスはバイオリン奏者のレメーニと演奏旅行に出かけた時にこのような ジプシー音楽に興味を持ち ハンガリー舞曲集をまとめ上げていったと言われている。 しかしレメーニは、ブラームスのハンガリー舞曲集の大ヒット後、ブラームスが自らの著作権を侵害していると ブラームスを訴えたのである。 裁判の結論は、ブラームスがハンガリー舞曲集を「作曲」ではなく「編曲」として発表したこと、元となるメロディーの作曲者(著作者)が誰にあるかわからないということで ブラームスが勝訴した。 これを 現代の著作権 訴訟に当てはめてみるとなかなか面白い。 元々のメロディーの作曲者が誰かわからないとしてもバイオリニストであるレメーニが演奏するにあたっては それなりにアレンジをしていたのであろう。 ブラームスがハンガリー舞曲集を発表するにあたって、レメーニのアレンジ の創作部分を利用しているのであれば、それはレメーニ の著作権を侵害したと言いうる。 しかしながら、レメーニの創作部分を利用していないのであれば、著作者がわからない 著作物を利用したにすぎずレメーニの 著作権を侵害したとは言えない。 この裁判を現代風に整理すると次のようになる。 ① ブラームスが利用した旋律は著作物か?     ...

山岳事故における法的責任

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山岳事故における法的責任 (目  次) 1 はじめに 2 責任と法的責任  ⑴ 責任と法的責任の区別 ⑵ 法的責任とは何か ⑶ 法的責任の 3 類型 ⑷  3 つの法的責任の関係 3 山岳事故における法的責任=「過失」  ⑴ 責任の発生原因について ⑵ 民事及び刑事上の過失責任が生ずる要件 ⑶ 民事上の責任と刑事上の責任との差異 ⑷ 「過失」と「安全配慮義務違反」 4 過失の意義及び自己責任諭や危険の引受  ⑴ 自己責任論や危険引受の射程の温度差 ⑵ 過失の意義 ⑶ 注意義務の成立要件 ⑷ 過失と危険引受及び自己責任論との関係 ⑸ 各登山類型による危険引受の違い 5 裁判例検討 ⑴ 学校引率登山  ⑵ 大日岳訴訟  ⑶ ガイドによる引率登山  ⑷ 成年による自主登山 6 結語 1 はじめに  ⑴ 本稿では,山岳事故における法的責任について私見を述べる。 山岳事故における登山に危険はつきものであり,それが本質であるとすれば,どれだけ安全を志向しても,登山における事故は不可避であり,山岳事故における裁判例も集積される。 ⑵ 本稿では,まず,山岳事故における「法的責任」とは何かについて諭ずる。 その上で,登山において語られる「自己責任」や「危険の引受」が,山岳事故における法的責任を語る上で,どのように位置付けられるのかについて論ずる。 そして,それらを踏まえ,山岳事故等における裁判例を概観する。 2 責任と法的責任 ⑴ 責任と法的責任の区別 ア 責任という言葉は,政治的責任,道義的責任,倫理的責任と言ったように,非常に多義的に使われる。したがって,法的責任について論ずる場合,まず,法的責任が,他の政治的責任,道義的責任などと,どのように区別されるか明らかにする必要がある。 イ 山を愛する者は,登山における倫理観,道徳観を持っており,登山は,その倫理的規範,道義的規範の中で行われることが多い。 そこでは,例えば,「危険な冬山に行く以上,その危険は自ら引き受けるべきであり,事故が生じてもそれは自己責任である。」という文脈が用いられる。 それは,山を愛する者の倫理的規範,道義的規範としては説得力を有す...

趣味と法律(模範演奏と音楽的著作権 JASRAC vs YAMAHAを題材に)

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趣味と法律(模範演奏と音楽的著作権 JASRAC vs YAMAHAを題材に) 過日,友人に誘われ,「スタンウェイ」を弾いてきました。曲目は,ショパンのワルツ10番(OP69-2)。かつて映画「ラ・マン」の最後に使われた曲です。 ワルツ10番 ミスだらけの演奏 これも法律的思索の1プロセスと考えれば下手な演奏をあえて晒すのも全くの無意味とは言えないのではないか、、、と言い訳しつつ。 我が愛読書,マキャヴェリ「君主論」に, 「アカイアの君主フィロポイメンについては、従来、著述家からいろいろの賛辞が寄せられたが、とりわけ彼が平時にあっても、戦術のことしか念頭になかった点がほめられている。友人と野外にでかけたとき、彼はたびたび立ちどまって、こう論じあったという。(中略)彼は、こうしてたえず反省を繰り返したから、自分で軍隊の指揮をとったとき、どんな突発的な出来事に遇っても、いちども対策に窮することがなかった。」(中公文庫 池田廉訳) という一節があります。 これを法律家に適用すれば、いついかなる時も、趣味のピアノを楽しんでいる時でも,「法的に」考えることを怠らないことになるでしょう。 JASRAC(日本音楽著作権協会)が著作権使用料を取る対象に音楽教室を加えるという方針を発表しました。これに対して,音楽教室最大手のヤマハが猛反発。JASRACに対して,著作権の使用料を支払う必要はないという事を確認してもらう為の裁判を東京地裁に起こしました。 JASRACは,作曲家など音楽を作ってその著作権を持っている人から委託を受けて,その音楽などを利用する人などから料金を支払ってもらい,それを作曲家などに分配すること等を業務としている団体です。 音楽教室が作曲家の音楽などを使った場合,その使用料を払う必要はあるのでしょうか。これまで音楽教室などが生徒さんにレッスンで先生が演奏するなどしても使用料を払うという事はなされてこなかったため,今回新たにJASRACが使用料を取るということについて,音楽教室などは強い反発をしているようです。 なお,ほとんどのクラシック音楽は,既に著作権が切れているため,ここで問題となるのは,J-POPのように現在も著作権が生きている曲の利用です。 このニュースを題材に,何が問題となるのか考えて行きたいと思います...

ノクターンOP 9-2を弾く〜Chopin,ノクターンで考える音楽的著作権〜

ノクターンOP 9-2を弾く  〜ショパン,ノクターンで考える音楽的著作権〜 ノクターンOP9-2を弾いてみた 2020年2月8日、豊川市フロイデンホールにてショパンノクターン OP 9-2を弾いた。 演奏が拙いのは所詮四十の手習いと考え、ご容赦願いたい。 ショパン,ノクターンの音楽史における独創性が比類ないものであることは、論を俟たない。 しかし比類ない独創性を持つショパンのノクターンですら、 その創作は模倣的要素から切り離せない。 ノクターンの語源は、ラテン語のnocturnus(「夜に属する」)で、nox(「夜」)の副詞形noctū (「夜に」)から作られた形容詞である。ショパンは、夜想曲をより自由でロマンティックな楽曲へと発展させた(ここは Wikipedia)。 ショパンのノクターンの初期の3曲、OP9の1から3は、フィールドのノクターンの影響を強く受けていると言われている。 フィールドのノクターンを検索して YouTube で聞いてみると、 確かに曲の雰囲気はショパンのOP9の1から3とよく似ている。 ショパンのOP9の1から3の、 着想やアイデア自体はフィールドのそれに依拠していると言ってもあながち間違いではあるまい。 この事を現在日本の著作権法という観点から見た場合どのようなことが言えるだろうか? 小説の映画など既存の著作物に依拠し、新たな著作物を創作する行為などを翻案と言う。 (翻訳権、翻案権等) 第二十七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。 結論から言えば、 アイデアや発想及び着想などを利用しても 著作権侵害になることはない。 著作権の保護対象はあくまで表現行為である。 事実そのもの、アイデアそのもの、思想そのものを利用したとしても、 それが登録された特許権、実用新案権、意匠権などを侵害することがあり得るにせよ、著作権侵害にはならない。 このことはいわば当たり前であって例えば、 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」 が川端康成の創作表現であり著作権法の保護が与えられるとしても、例えばツイッターで「 清水トンネルナウ、抜けたら真っ白」という類の表現が禁止されるわけではないのだ。 技術その...

ワインを飲みつつ法を思う③〜保護による品質保持と自由による創造性の発露〜

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ワインを飲みつつ法を思う③  初めてSine Qua Nonワインを飲んだ時、 この世の中にはこんな旨い酒があるのだと、心の底から驚いた。    (ラトラパンテグルナッシュ2012/山猫軒にて) ラテン語で「不可欠なもの」を 意味するこのワインに触れると、「ワインとは何か」という そもそもに疑問に 向き合わざるを得ないような気にさせられる。 最近仕事で必要があって、TRIPS 協定(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)を 読んでいたら、 ワインの原産地呼称保護に関する 規定を見つけ、 ワイン生産国のその 原産地呼称保護に関する情熱の深さを思わずにはいられなかった。 「第23条 ぶどう酒及び蒸留酒の地理的表示の追加的保護 (1) 加盟国は,利害関係を有する者に対し,真正の原産地が表示される場合又は地理的表示が翻訳された上で使用される場合若しくは「種類(kind)」,「型(type)」,「様式(style)」,「模造品(imitation)」等の表現を伴う場合においても,ぶどう酒又は蒸留酒を特定する地理的表示が当該地理的表示によって表示されている場所を原産地としないぶどう酒又は蒸留酒に使用されることを防止するための法的手段を確保する。」 この TRIPS 協定は、 特定の地域のぶどう酒の地理的表示の保護を、 その場所を原産地としないぶどう酒に使用されることを防止するに留まる。例えば、 日本の北海道産ワインに「マルゴー」と名付けたり、 ポルトガル産ワインに「山梨」と 名付けたりすることが禁止されるに留まり、 スペイン産の香水に「マルゴー」や「山梨」 と名付けることが禁止されるわけではない。 その意味で TRIPS 協定の上記規定は、 指定商品や指定役務に関する 商標権が保護される商標法と発想は同一であると考えられ 理解しやすい。 しかしフランスにおいては この地理的表示の保護は、 ワインの地理的表示をワインとして保護する範囲を超えている 。例えばイブサンローランが 香水にChampagne という名を付けた事例でを付けた事例で、 イヴサンローランは裁判の結果敗訴し、 名称変更を余儀なくされている。 原産地保護は確かに、 ワインの品質を維持し優れた生産者の情熱を 保護する効果がある。 日本においても「山梨」 というワイン...

ワインを飲みつつ法を思う②~「ブランド」としての原産地呼称保護~

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ワイン飲みつつ法を思う② ~「ブランド」としての原産地呼称保護~ この写真を見て、 表示の違いがわかるだろうか? この写真の表示の違いがわかるのは、 普段から 地元の農産品や食品や酒などの「ブランド」 としての保護に相当興味を持っている方だと思う。 同じく極甘口のワインだが、 コンコードの方には「日本ワイン」 の表示がなされているが、 ナイアガラの方にはその表示がない。 ワインの表示に関しては、平成27年10月30日、国税庁が酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律86条の6(酒類の表示の基準)に基づき、果実酒等の製法品質表示基準(国税庁告示)を制定した。基準の適用は平成30年10月30日からである。 それによれば「日本ワイン」とは、日本国内で栽培されたぶどうを100%使用して日本国内で醸造されたワインを言う。 じゃあコンコードの方は 国内で栽培されたぶどうを100%を使用して国内で醸造しているが、 ナイアガラの方はそうではないのか? という疑問を持たれる方がいるかもしれないが、 これは単に基準適用前に製造されラベルが貼られたワインか、 基準適用後に製造されラベルが貼られたワインかの違いにすぎないのではないかと思う。 ナイアガラの方も、 間違いなく「日本ワイン」であろう。 では次の1枚の写真 「長野県原産地呼称管理委員会認定」と「G1 YAMANASHI」の表示の違い、どのような意味があるか?ここがすぐ分かるのは、もう地元農産品食品保護にすごくすごく興味を持っている人だろう。 「G1 YAMANASHI」は日EU・EPAにより、山梨ワインは、EU域内で保護される。 例えば、日本おいて長野県産CHAMPAGNEを表示したスパークリングワインや、愛知県産ゴルゴンゾラを表示したチーズが許されないのと同様、EU域内においては、○○産YAMANASHIといったワイン表示も許されない。 果たして日本のワインは「CHAMPAGNE」のようなブランドとして成長していくのだろうか? ワインに限らず日本酒も、もっと日本の地域表示を狭い範囲で保護する原産地表示保護が世界に広がっていくだろうか? 一部の日本酒には間違いなくその実力がある。 興味は尽きない。 我が地域からも、いつか、、、、、こんな、歴史と伝統に裏打ちされ...

ワインを飲みつつ法を思う

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ワインを飲みつつ法を思う 週末、仕事に追われることが多いけど、今夜は妻と自宅でワインを嗜む余裕ができた。 コラバンシステムを使って、いろいろ少しずつ飲む。 どれも美味しい。 あー美味しかった!! で終わっても良いのだけれど、 ワインの美味しさは人と自然によって作られるものであることを考えると、 刹那快楽主義で終わってしまっては少々惜しい気がする。 もう少し美味しいお酒を作り出した 人と自然に敬意を持つことにしよう。 美味しいお酒を作るのは人と自然であるが、 それがその地域に文化として根付くためには やはり制度的な裏付けを必要不可欠とする。 そうすると、 美味しいワインを飲みながら、 ワインを支える法制度に思いをいたしてみるのも面白い。 古代メソポタミアで生まれたとされるワインは、 エジプトやギリシャで発達し、 ヨーロッパで 洗練を重ねた。 今僕がもっぱら好んで飲んでいるのは、ナパバレーを中心とするカリフォルニアワインである。 ワインをめぐる法規制の歴史は古い。 古代エジプトには原産地呼称制度の原型があったのではないかという説もあるようだし(蛯原健介著・ はじめてのワイン法47頁)、 古代ローマ帝国においては ぶどうの栽培面積を規制することで、 穀物の生産を確保するとともに 粗悪なワインの流通を防止するための「ドミティアヌスの勅令」 といった制度も存在したようだ(同前53頁)。 ヨーロッパにおいてワインは、 原産地呼称制度によって厳格な法的規制がなされている。 この制度は いろいろ問題はあると言われているし、AOCより 美味しいテーブルワインは数多く存在すると聞く(法律の専門家であってもワインのど素人なので詳しくはないが)。 しかし間違いなく粗悪品を排除し、 優れた生産者の情熱や努力の成果を 保護する効果はある。 山梨ワインをヨーロッパに輸出する際に 様々な法的障害が問題となり、 国税庁長官が 地理的表示に「山梨」を 指定したことは記憶に新しい。 また近年同様に「北海道」が指定された。 日経新聞記事 しかし残念なことに、 日本には酒税法はあっても、 酒造りを文化として保護する 酒造法は存在しない。 いちごワイン、梅ワインが堂々と売られている一方、最高の泡盛が泡盛を名乗れない矛盾...