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権力への渇望と残酷さの勝利〜新国立劇場「トゥーランドット」

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VINCERO!!  権力への渇望と残酷さの勝利 新国立劇場「トゥーランドット」 指揮は大野和士新国立劇場オペラ芸術監督 管弦楽はバルセロナ交響楽団 演出はアレックスオリエ Nessun dorma! Nessun dorma! Tu pure, o Principessa,  nella tua fredda stanza guardi le stelle  che tremano d'amore e di speranza… 誰も寝てはならぬ! 誰も寝てはならぬ! 御姫様、あなたでさえも、 冷たい寝室で、 愛と希望に打ち震える星々を見るのだ… Dilegua, o notte! Tramontate, stelle!  Tramontate, stelle! All'alba vincerò! Vincerò! Vincerò! おお、夜よ去れ! 星よ沈め! 星よ沈め! 夜明けと共に私は勝つ! 私は勝つ! 私は勝つ! あらゆるオペラの中で最も有名ではないかと思うこの歌は、トゥーランドットという物語の中で聴くと 僕は驚くほど共感できない。 「美しいトゥーランドット姫に求婚する男は、彼女の出題する3つの謎を解かなければならない。解けない場合その男は斬首される」 亡国の王子カラフは一目見てその美しさの虜となり、自らが新たな求婚者となることを宣言する。 果たしてカラフは、謎をことごとく打破する。トゥーランドット姫は父皇帝に「私は結婚などしたくない」と哀願するが、父皇帝は「約束は約束」と娘の要求を拒絶する。 カラフはトゥーランドットに対して「それでは私もたった一つの謎を出そう。私の名は誰も知らないはず。明日の夜明けまでに私の名を知れば、私は潔く死のう」と提案する。 北京の街にはトゥーランドット姫の命令が下る。「今夜は誰も寝てはならぬ。求婚者の名を解き明かすことができなかったら住民は皆死刑とする」 カラフはここで、 「Nessun dorma!〜  All'alba vincerò!  Vincerò!  Vincerò!」 と歌い上げる。 しかし、カラフの亡国の...

シンデレラ(新国立劇場バレエ)

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シンデレラ(新国立劇場バレエ)2019.4.27 2019.GW10連休の初日は、新国立劇場にて、妻と7歳の長女とバレエ「シンデレラ」を観劇した。 僕にとってはプロコフィエフの音楽は捉えどころのないものなのだが、踊りと共に聴くと、なるほど一つ一つの音に意味があり、所作と結びつき、こんなにも美しいのかと感じ、とても新鮮な思いがした。 僕の美的感覚もまだまだ未熟で発展途上にあるようだ。 冨田実里さんの指揮、東京フィルの音楽も素晴らしいが、終演後に心の底からの幸福感に満たされたのは、特に主役シンデレラを演じた米沢唯さんによる。 バレエについては僕は的確に語りうる言葉を持たない。 ただ、一挙手一投足をここまで美しくすることができるのか、、、、と感動する。

モーツァルト「魔笛」(新国立劇場)

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モーツァルト「魔笛」(新国立劇場) 新国立劇場は、 昨年までの飯守泰次郎オペラ芸術監督が退任され、 2018/2019年は、 大野和士 オペラ芸術監督を迎え シーズンを開幕する。 シーズン最初の演目は、新制作のモーツァルト「魔笛」である。 新国立劇場の賛助会員ということで、 シーズン開幕に先立って舞台稽古(ゲネプロ)を見学してきた。 シーズン開幕前、新制作の舞台稽古見学ということで、 内容について 書くことはしない。 そこでモーツァルトの「魔笛」に ついての個人的な 思いを少し記すことにする。 モーツァルトの 魔笛を最初に見たのは、 新婚旅行である。場所はウィーンフォルクスオーパー。 あの頃はお互いお金がなかったから、 ウィーンプラハに行ったものの、 食事は閉店間際のピザ屋の売れ残りを 半額で買ってホテルで食べる。 ウィーン国立歌劇場のチケットはとても高くて買えなかったため、 民衆劇場を意味するフォルクスオーパーで 魔笛を見た。 その時の演出は極めてオーソドックスそして絵画的なものであり、 親しみやすいものだった。 しかし結論から言ってしまえば、 魔笛の世界観は 好きになれない。 フリーメイソンの影響が強く出てるとか、 ザラストロ性善説での演出、 ザラストロ性悪説など、 とにかくいろいろ語られている。 しかし 素晴らしい音楽に乗って語られるストーリーには、 どうしても「啓蒙的な臭い」を感じてしまい、 音楽の美に 精神を 委ねることができないのだ。

絶望か愛の救済か(新国立劇場『 フィデリオ』)

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絶望か愛の救済か(新国立劇場『 フィデリオ』) 新国立劇場『フィデリオ』は、 飯守泰次郎音楽監督が新国立劇場の音楽監督として最後に指揮を振る演目であった。 演出はバイロイト祝祭劇場総監督、 リヒャルトワーグナーのひ孫にあたる、 カタリーナワーグナー。 ベートーベン唯一のオペラ『フィデリオ』 のストーリーを一言で言えば『水戸黄門』 である。 無実の夫を妻が救い出す。 悪代官がいて、 最後に大臣が現れて、 無実の夫と無実の受刑者(群衆)を救い出す。 しかしながら、 カタリーナワーグナーの『 フィデリオ』に水戸黄門的な救いは一切ない。 悪代官は最後まで栄える。 群衆はぬか喜びをさせられて葬り去られる。 フロレスタンもフィデリオ(レオノーラ) の地下牢に閉じ込められて死ぬ。 救いはないけれども、フロレスタンとフィデリオ(レオノーラ)は、愛の中で共に死ぬことができる。 一方で、解放されるべき群衆には、一切救済がない。 社会による救済はありえない。 愛する人と苦しみの中に ともに死にゆくことに無常の喜びを見出す。 それ以外の救済はない。 カタリーナワーグナーは そんなことを言いたいのだろうか。 ベートーベン本来の、 ある意味水戸黄門的な 結末を期待していたであろう、 隣の席のおばあさんはプンプン怒っていた。 エンディングパーティーで、 フィデリオ(レオノーラ)を演じたリカルダメルベートさんが、liebestot という言葉を使った。 美しさの中に どこまでも リアリスティックなフィデリオであった。

舞台芸術のために何ができるか?

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心から敬愛してやまない、新国立劇場、飯守泰次郎オペラ芸術監督が、今期をもって退任される。 さまよえるオランダ人、ローエングリン、そして、ニーベルングの指環。 美しいだけでなく、英雄の幼稚さや暴力性も含めて、心から飯守監督の音が好きだった。 飯守監督が、新国立劇場オペラ芸術監督として、最後の演目に選んだのが、ベートーヴェンの「FIDELIO」だ。 ストーリーは、まるで水戸黄門のように、陳腐で安直だと思う。 しかし、最後の一節 Nie wird es zu hoch besungen,Retterin des Gatten sein. (夫を救った女性を讃える歌声は、限りなく大きく響く)を聴く頃には、心地良い感動の涙がとまらない。 癒しと活力を与えてくれる総合芸術に、ひとりの市井の法律家に過ぎない僕が貢献できることは何かあるだろうか?と時に考える。 劇場に通い、全神経を集中させてMusik dramaに没頭する。 そして、総合芸術の素晴らしさを、こうして語ることの他にあるまい。 (新国立劇場賛助会員懇談会にて)

新国立劇場【椿姫】

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新国立劇場【椿姫】 なぜ、地元の豊橋から、何度も、何度も、初台の新国立劇場に通い詰めるのか。 総合芸術であるオペラは、詩・ドラマ・衣装・マイム・器楽・ダンス・歌といった芸術分野の成功した結合の典型として示され、それぞれの芸術が単独でなし得る以上に、よく見 通す目と豊かな表現力を有している。 そんな、総合芸術であるオペラに、僅かに、ほんの僅かにでも貢献したいと考え、新国立劇場の賛助会員になっている(新国立劇場のプログラムにも僕の名前が載っている)。 贅沢な遊びではあるけれど、子供達にも是非触れて欲しい。 この舞台が完成させるまでに費やされた膨大な時間と労力、そして費用。総合芸術によって得られる感動は、テーマパーク等でアトラクションを消費するだけの底の浅い遊びとは、質的に異なる。 さて、今回の椿姫(ラ・トラヴィアータ)、主演のイリーナ・ラングの圧倒的な歌唱と名演に涙が止まらなかった。 ヴィオレッタの歌、揺れ動く心は、このオペラで愛娘に聴かせたい。 芸術の美によって、普通の人生では感じ得ない情動を我が心に取り込み、精神の涵養して欲しいと、心から願っている。 愛に落ちることに葛藤する高級娼婦の心理は、子どもには、まだ難しいかな、、、、。

新国立劇場【神々の黄昏】

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ワーグナーの楽劇【ニーベルングの指輪】も、この【神々の黄昏】で最後を迎える。 飯守泰次郎オペラ芸術監督の、ニーベルングの指輪を心ゆくまで味わえたことは、これ以上ない幸せだった。 でも、もう一度、4夜16時間に及ぶ、この音楽劇を、飯守泰次郎監督の指揮で聴き通したい。 今回の神々の黄昏は、オーケストラも歌手も、当代最高峰の素晴らしいものだった。 オーケストラは、満を持してというべきか、読売日本交響楽団。 ジークフリートは、当代最高のヘルデンテノールである、ステファン・グールド。 ブリュンヒルデは、ペトラ・ラング。昨年のウィーン国立歌劇場の【ワルキューレ】でジークリンデを歌った。 何より嬉しかったのが、ヴァルトラウテを歌った、ヴァルトラウト・マイアー。 僕が、まだ青春だった頃、ユースホステルに泊まって、ヨーロッパのオペラハウスを旅をして、一番安いチケットを買っては観劇していた時、よく見た。 ズービン・メーター指揮のバイエルン国立歌劇場で観た【ワルキューレ】のジークリンデ、ダニエル・バレンボイム指揮のベルリン国立歌劇場で観た【トリスタンとイゾルデ】のイゾルデ。 「ワーグナーの音楽は、これまで何らかの形で禁じられていたものの 放埓な言明であり、それゆえ、我々が皆心の奥で望みながら現実の世界ではいきることのでき ない、情動の赴くままの生―我々のもっとも情熱的な欲望やその表現が制限されることのない 生、情動が好き勝手振る舞えばこうもあろうかと思われる生―を与えてくれる、ということで ある。ワーグナーの音楽の魅力は実人生では決してかなわない我々のもっとも内なる願いを、芸術 と言う形で叶えてくれる点にある。それゆえにこそ、ワーグナーの音楽には可能性の限界を超え、聴く者の意識を拡張してくれるように思われる。」(ブライアンマギー「ワーグナーとは何か」) 【神々の黄昏】の終末で奏でられる、軋みをあげて荒れ狂うオーケストラ、自分と共に世界を燃やし尽くす音楽。焼き尽くされた世界に奏でられる、控えめな、「愛と救済」の旋律、、、、、、。 いつまでも、いつまでも、いつまでも劇場の只中で聴き続けていたい。

ワーグナー 「ニーベルングの指輪」第1日「ワルキューレ」

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ワーグナー 「ニーベルングの指輪」第1日「ワルキューレ」 ワーグナー「ニーベルングの指輪」第1日「ワルキューレ」は,ワーグナーの全楽劇の中でも,特に好きな作品だ。 これまで,何度も生で見ているけれども,何度見ても感動を新たにしている。 バイエルン国立歌劇場,ズービンメーター指揮 「ワルキューレ」 この時は,歌劇場のストライキ中で大道具等がなく,随分簡素な舞台だった。 メトロポリタン歌劇場 ジェイムスレヴァイン指揮 「ワルキューレ」 プラシドドミンゴ,ジェイムスモリスと言った,大御所による重厚な舞台だった。 昨年は, 新国立劇場 飯守泰次郎音楽監督が指揮する「ワルキューレ」。 生で見たワルキューレの中では,これが一番気に入っている。 ウィーン国立歌劇場 アダムフィッシャー指揮「ワルキューレ」 オーケストラの美しさは,さすがウィーンフィルハーモニーの母体,ウィーン国立歌劇場管弦楽団だ。 昨年は,ワルキューレを2回も見ることができた,とても幸せな年だった。 10代から20代の頃は,とにもかくにも第1幕,ジークムントとジークリンデの,兄妹の破滅的で美しい愛の二重唱だった。 「Was je ich ersehnt,ersah ich in dir     in dir fand ich,was je mir gefehlt!」 (これまでわたしが焦がれたものをあなたの内に見出し  わたしに欠けていたものをあなたに見つけた)(意訳) と言った,ふたつの人格が溶けてひとつになるような強烈な言葉と音楽に一番こころを奪われていた。 しかし,30代になり,娘ができると,ワルキューレの中でも,涙する場面は変わってくる。 主神ヴォータンが,自らの背いた愛娘ブリュンヒルデから,神性を剥奪しヴァルハラから追放し,眠りにつける。その周りに,真の英雄しか超えられない炎の壁を巡らせる。 最後に,ヴォータンは眠りにつけるブリュンヒルデに語り掛ける。 「ein brautliches Feuer soll dir nun brennnen wie nie einer Braut es gebrannt!」 「Denn einer nur freie die Braut,derfreier als ich,der Go...

新国立劇場 ワーグナー「ニーベルングの指輪」第2日「ジークフリート」

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新国立劇場にて、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」第2日「ジークフリート」。 指揮は飯守泰次郎オペラ芸術監督。 オケは東京交響楽団。 ソリストも当代最高のベルデンテノールのひとりであるステファングールドはじめ、最高の歌手たち。 今日は前から二列目。オーケストラの音も歌手の声も表情も、鮮明だった。14時開演で終わったのは20時。あっと言うの6時間だった。 ジークフリートは、ひとりの英雄が成長する過程で、これでもかと言うほどの暴力や殺戮があり、臆病な策士(ミーメ)の「指輪=権力」への渇望があり、愛を断念することで「指輪=権力」を得て指輪を失い権力を失ったアルベリヒの権力と財力を取り戻す渇望。 権力者(ヴォータン)の破滅への憧憬。 ジークフリートとブリュンヒルデの愛と官能への怖れと憧れ。 神であることの強さを失ったブリュンヒルデが、ジークフリートの愛(=性愛)を受け入れることへの恐怖から清らかで穏やかな愛を語る。 「vernichte dein Eigen nicht」(あなたの私を壊さないで)と。 しかし、ジークフリートは「Wache du Maid」(乙女よ目覚めよ)と謳い、三度「sei mein」(私のものになれ)が繰り返され、愛を歌う二重唱が奏でられる。 この、楽劇の終幕の愛の最高潮の場面ですら、「ブリュンヒルデが笑う」と歌うジークフリートに対し、「神々の黄昏よ、破滅の夜よ」と歌うブリュンヒルデ。幸福の絶頂においても、2人はすれ違い破滅に向かって突き進むことが暗示されている。 次は、10月のニーベルングの指環の最後「神々の黄昏」に続く。 飯守監督の音が、本当に好きだ。 日常の社会生活において、開けてはならない原始的な情動が、言葉以上にオーケストラによって圧倒的に雄弁に語られ、掻き立てられ、燃やし尽くされる。 原始的な情動の存在を受け入れて燃やし尽くして浄化する。カタルシスそのもの。 自分の中に、ワーグナーの楽劇によって語られる原始的な情動がない、あるいは原始的な情動を否定したい、楽しい仲間や穏やかで優しいものにすがりつきたいと言った人はワーグナーの楽劇は不快そのもので、意味不明だと思う。 僕は、職業柄、時に説明のつかないような猛烈な愛憎や暴力や犯罪を、事件として手際よく処理していかざるを得ない面...

眠れる森の美女 新国立劇場

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(眠れる森の美女 新国立劇場) 一歳の息子を両親に預け、妻と娘と新国立劇場で「眠れる森の美女」 東京フィルの研ぎ澄まされたチャイコフスキーの音が、あまりに心地良く、日常の疲労と相まって、第二幕のオーロラ姫の踊りで不覚にもうとうとしてしまった。 チャイコフスキーは交響曲やコンツェルトは好きでよく聴くけど、バレエ音楽を生オケで聴いたのは初めて。 ひとつひとつの音にひとつひとつの動きがしっかり乗ってる感じですごく良かった。 オペラやバレエを優れた生オケで観ると、空気の振動とともに響く音の流れが、精神の淀みを洗い流すよう。