新国立劇場 ワーグナー「ニーベルングの指輪」第2日「ジークフリート」

新国立劇場にて、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」第2日「ジークフリート」。
指揮は飯守泰次郎オペラ芸術監督。
オケは東京交響楽団。
ソリストも当代最高のベルデンテノールのひとりであるステファングールドはじめ、最高の歌手たち。

今日は前から二列目。オーケストラの音も歌手の声も表情も、鮮明だった。14時開演で終わったのは20時。あっと言うの6時間だった。

ジークフリートは、ひとりの英雄が成長する過程で、これでもかと言うほどの暴力や殺戮があり、臆病な策士(ミーメ)の「指輪=権力」への渇望があり、愛を断念することで「指輪=権力」を得て指輪を失い権力を失ったアルベリヒの権力と財力を取り戻す渇望。


権力者(ヴォータン)の破滅への憧憬。


ジークフリートとブリュンヒルデの愛と官能への怖れと憧れ。
神であることの強さを失ったブリュンヒルデが、ジークフリートの愛(=性愛)を受け入れることへの恐怖から清らかで穏やかな愛を語る。
「vernichte dein Eigen nicht」(あなたの私を壊さないで)と。

しかし、ジークフリートは「Wache du Maid」(乙女よ目覚めよ)と謳い、三度「sei mein」(私のものになれ)が繰り返され、愛を歌う二重唱が奏でられる。

この、楽劇の終幕の愛の最高潮の場面ですら、「ブリュンヒルデが笑う」と歌うジークフリートに対し、「神々の黄昏よ、破滅の夜よ」と歌うブリュンヒルデ。幸福の絶頂においても、2人はすれ違い破滅に向かって突き進むことが暗示されている。

次は、10月のニーベルングの指環の最後「神々の黄昏」に続く。
飯守監督の音が、本当に好きだ。

日常の社会生活において、開けてはならない原始的な情動が、言葉以上にオーケストラによって圧倒的に雄弁に語られ、掻き立てられ、燃やし尽くされる。


原始的な情動の存在を受け入れて燃やし尽くして浄化する。カタルシスそのもの。

自分の中に、ワーグナーの楽劇によって語られる原始的な情動がない、あるいは原始的な情動を否定したい、楽しい仲間や穏やかで優しいものにすがりつきたいと言った人はワーグナーの楽劇は不快そのもので、意味不明だと思う。

僕は、職業柄、時に説明のつかないような猛烈な愛憎や暴力や犯罪を、事件として手際よく処理していかざるを得ない面もあり、時にこうして、原始的な情動を肯定して取り込んで燃やし尽くして浄化することも必要だと思っている。

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