お金の話(2)〜資本主義への信頼と懐疑〜読書日記

(承前)
国家と法を前提としない投資、、、。

時代と国境を越える「儲け話」ってなんだ?

大航海時代、東インド会社、帝国主義
どれも、

「金を集めて投資して利益を上げる」

と言う資本主義の論理によっている。

結局資産運用とは、資本の増殖そのものを目指すと言う意味において、資本主義の論理に乗っかることに等しい。

もっとも、本業の弁護士業が、かなり多忙なため、いちいち会社四季報を見て銘柄を選んで相場を気にしている暇はない。

そこでまず行き着いたのが、

「ウォール街のランダムウォーカー」(バートンマルキール)

要旨、資本主義は浮沈を繰り返しながらも成長を続けるため、株式市場全体に投資する効果に最も近いインデックス投信のバイアンドホールドが、最も合理的な投資方法である、と言うものだ。
「ほったらかし投資術」もこの系統だ。

しかし、どうしても、「資本主義」の永続的成長を無邪気に信じる気にはならない。

そこで読んだのが、
「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫)
「21世紀の資本」(トマピケティ)

金を集めて投資して利益を上げる資本主義のプロセスの中で「利潤の最大化」を図るためには、安く買い叩いて高く売り付けることが基本となる。

大航海時代、東インド会社、帝国主義も、戦後の日本の発展も基本的には異ならない。
発展途上国から資源を買い叩いて工業製品を高く売ることによって、先進国における「総中流」を実現してきた。

しかし、資本が容易に国境を越えて世界中を飛び回るようになると、買い叩く対象は、自国の労働力になる。中間層の没落と格差の拡大である。
なんだか、マルクスの「賃労働と資本」が想起される。

中間層が没落していく社会において、資本主義の永続的成長を無邪気に信じる気にはならない。

この場合僕の比較対象は、国家と法を前提とする前述の資産形成を上回る効果を期待できるか、なのであるからなおさらである。

そうすると、いろいろ考えた結果、おじさんの話を前提としても、国家と法を前提とする資産形成以外は行わないと言う結論に達する。

僕はどこまで言っても資産で資産を産み出せる立場にはないのだから、わずかな余剰でわずかな利潤を求めるよりも、本業のみに最大限集中した方が、よっぽど合理的と言うことになる。

投資対象は自分自身とすべきであり、法律家としての能力を最大限高めることに、時間と資本を投下すべきだったのだ。









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