AIを巡る法制度の行く末はいかに?
今乗っている自動車(VW passat)は,運転中,一定の速度を設定しておけば,前の車との車間距離を自動的に把握して,減速・加速を行う。また,道路の車線幅を認識し,自動的にステアリングを切る。この技術は,何も僕が今乗っている車に限ったことではなく,多くの車両で採用されている。
普段,あまり車を運転しないので,日常的に意識していないが,技術的には限りなく自動運転に近づいていることを認識する。
僕は,自分自身に対しても,性悪説で臨んでいるので,自分が「他事を考えながらの運転」「脇見運転」「居眠り運転」をする可能性がないとは,考えていない。
したがって,常に自分が事故の加害者・被害者になり得る可能性を意識している。
そのため,上記技術の採否は,衝突安全性能に関するIIHSや,EURONCAPの試験結果と共に,車選びを考える際の重要な基準となっている。
(参考:IIHS small overlapの試験)
https://www.google.co.jp/search?q=iihs+small+overlap&rlz=1C1CAFA_enJP666JP760&source=lnms&tbm=vid&sa=X&ved=0ahUKEwjfyO_hvJraAhUEJZQKHd4hDN0Q_AUICigB&biw=1600&bih=794
(参考:EURONCAPの試験)
https://www.google.co.jp/search?q=euroncap+2018&rlz=1C1CAFA_enJP666JP760&source=lnms&tbm=vid&sa=X&ved=0ahUKEwj9pYeTvZraAhXEVZQKHcZECtMQ_AUICygC&biw=1600&bih=794
さて,この機能,運転を一定程度車に任せようとすると,警告音が発せられ,自動運転機能が停止されるように設定されている。
技術的には,もっと車に運転を任せることができるはずであり,それだけの機能がありながら,運転手がその性能を十分に利用することが許されていない。
おそらくこれは,法的な問題であろうと思う。
車が運転手に自動運転を許容しているような設定をしてしまった場合,事故が起こった際の責任が,メーカーにいくことを予防しているのだと思う。
AIの法制度は今後どのようになっていくのだろうか?
法的責任を,使った側に負わせるか,作った側に負わせるか?
開発と実用化を促す点では前者にメリットがあるが,誰もが使える社会資本として考えて行く場合,後者の考え方を無視するわけにはいかない。
現実は,両者の中間でバランスを取りながら,法制度を構築していくことになろう。
立法・行政・司法,いずれに携わる者も,今後,この問題に注意を払わざるを得ないのだと思う。
普段,あまり車を運転しないので,日常的に意識していないが,技術的には限りなく自動運転に近づいていることを認識する。
僕は,自分自身に対しても,性悪説で臨んでいるので,自分が「他事を考えながらの運転」「脇見運転」「居眠り運転」をする可能性がないとは,考えていない。
したがって,常に自分が事故の加害者・被害者になり得る可能性を意識している。
そのため,上記技術の採否は,衝突安全性能に関するIIHSや,EURONCAPの試験結果と共に,車選びを考える際の重要な基準となっている。
(参考:IIHS small overlapの試験)
https://www.google.co.jp/search?q=iihs+small+overlap&rlz=1C1CAFA_enJP666JP760&source=lnms&tbm=vid&sa=X&ved=0ahUKEwjfyO_hvJraAhUEJZQKHd4hDN0Q_AUICigB&biw=1600&bih=794
(参考:EURONCAPの試験)
https://www.google.co.jp/search?q=euroncap+2018&rlz=1C1CAFA_enJP666JP760&source=lnms&tbm=vid&sa=X&ved=0ahUKEwj9pYeTvZraAhXEVZQKHcZECtMQ_AUICygC&biw=1600&bih=794
さて,この機能,運転を一定程度車に任せようとすると,警告音が発せられ,自動運転機能が停止されるように設定されている。
技術的には,もっと車に運転を任せることができるはずであり,それだけの機能がありながら,運転手がその性能を十分に利用することが許されていない。
おそらくこれは,法的な問題であろうと思う。
車が運転手に自動運転を許容しているような設定をしてしまった場合,事故が起こった際の責任が,メーカーにいくことを予防しているのだと思う。
AIの法制度は今後どのようになっていくのだろうか?
法的責任を,使った側に負わせるか,作った側に負わせるか?
開発と実用化を促す点では前者にメリットがあるが,誰もが使える社会資本として考えて行く場合,後者の考え方を無視するわけにはいかない。
現実は,両者の中間でバランスを取りながら,法制度を構築していくことになろう。
立法・行政・司法,いずれに携わる者も,今後,この問題に注意を払わざるを得ないのだと思う。