料理と法律①
料理と法律①
マキャベリの「君主論」に次の一節がある。
「アカイアの君主フィロポイメンについては、従来、著述家からいろいろの賛辞が寄せられたが、とりわけ彼が平時にあっても、戦術のことしか念頭になかった点がほめられている。友人と野外にでかけたとき、彼はたびたび立ちどまって、こう論じあったという。(中略)彼は、こうしてたえず反省を繰り返したから、自分で軍隊の指揮をとったとき、どんな突発的な出来事に遇っても、いちども対策に窮することがなかった。」(中公文庫 池田廉訳)
これを法律家に適用すれば、いついかなる時も、たとえ家で料理を作っている時でも、「法的に」考えることを怠らないことになろうか。
一品目は「ガスパチョ風」
焦がしパン粉を使うのが、僕好みである。
二品目は、「変形蒸し炒め」
蒸した大根の表面を軽くオリーブオイルで炒め、 その上に肉炒めと、 大根の葉っぱと玉ねぎを 炒めたものを乗せる。
横に 塩を振ってオーブンで 焼いた人参を添える。
果たしてこういった 素人料理にも、 何らかの法的権利は発生するのだろうか?
ここではまず、 登録によって権利が発生する、 特許権、実用新案権、商標権などは、次回に回し、 創作すれば登録をすることがなく権利が発生する 著作権について検討してみたいと思う。
著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(2条1項1号)を言う。
ここで重要なのは、 著作物として保護されるのは「創作的表現」であって、 事実や方法、アイデアそのものではないということである。
アイデアは別途特許権実用新案権などで保護の対象となり得る。
〇〇すると旨味が増す、ということに著作権は発生しない。
また、「〇〇年●月△日、□トンネルを抜けると雪景色だった」と言うような 表現に創作性はなく、 事実の記載に過ぎないから著作物ではないであろう。
上の調理方法の記載は、 表現に創作性があるわけではなく、 ただの方法に過ぎないから、 著作物とは言えず 著作権の保護の対象とはならないであろう。
もっとも事実や方法論が、 常に著作物ではなく著作権法の保護の対象とならないわけではない。
例えば、 新聞記事は事実を伝達するものであるから、 著作物ではないのか?
住宅地図は、 事実を記載するものにすぎず、著作物ではないのか?
新聞記事や住宅地図も、 一般的には著作物であると考えられており、 無断利用は著作権侵害となる。
これは新聞記事や住宅地図も、 事実の伝え方、 表現の方法に 差異があるため、 そこに表現の 個性を見出せるが故に「創作的表現性」が肯定される。
料理レシピも、その表現次第では著作物性を肯定できよう。
トンネルと雪景色の事実の伝達も、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」(川端康成 雪国)
という表現であれば、「創作的」表現性はあるだろう。
しかし、事実の伝え方に 広く著作権を認めてしまうと、 事実を伝える報道も日常の報告も、いちいち権利者の許しが必要となり、およそ成り立たなくなってしまう。
料理レシピも、食は生きる手段であるがゆえに、広範に著作物性を認めるわけにはいかないであろう。
そのため事実を伝達する新聞記事等にも著作権は認められるし、料理本のレシピの表現にも著作権は認められ得るが、その保護の範囲は 狭いことになる。
誤解を恐れず言うと、 まるまるパクれば、 著作物の複製であり著作権侵害となるが、 表現方法を少し変えて事実を伝えれば、 著作権侵害とならない可能性が あるということである。
この点は「写真」の 著作物についても同じことが言える。
上で乗っけた「ガスパチョ風」や「変形蒸し炒め」の写真は、 撮影対象の選定や撮影角度、 露出の決め方 などに、 一応僕の個性が表れており、 著作物と言えよう。
したがって、誰かが上の写真を「まるパク」すれば、 著作権法違反となり得る。
しかし、誰かが同じ料理を 別の角度から撮る、 あるいは同じ料理を作って新たに写真を撮る、 ということをすれば、上の写真の著作権を侵害することにはならないものと考えられる。
(誰もまねる気にもならない素人料理だが)
この著作物か否かという問題と、著作物であるとして 保護の範囲は どの程度か、 という問題は、著作権を検討するにあたっては 常に考えなければ ならない問題である。
次回は、 料理のアイデアそのものを 法的に保護しうるか? という点を検討してみたい。
最後に、 法的保護の対象となるかという問題と、 飯がうまいか という問題は 全く関連性がない。
特許権や実用新案権で 保護された、 工業製品としての食品は 数多く存在するが、 それが食の感動をもたらすわけではない。
菊地令比等法律事務所
マキャベリの「君主論」に次の一節がある。
「アカイアの君主フィロポイメンについては、従来、著述家からいろいろの賛辞が寄せられたが、とりわけ彼が平時にあっても、戦術のことしか念頭になかった点がほめられている。友人と野外にでかけたとき、彼はたびたび立ちどまって、こう論じあったという。(中略)彼は、こうしてたえず反省を繰り返したから、自分で軍隊の指揮をとったとき、どんな突発的な出来事に遇っても、いちども対策に窮することがなかった。」(中公文庫 池田廉訳)
これを法律家に適用すれば、いついかなる時も、たとえ家で料理を作っている時でも、「法的に」考えることを怠らないことになろうか。
一品目は「ガスパチョ風」
焦がしパン粉を使うのが、僕好みである。
二品目は、「変形蒸し炒め」
蒸した大根の表面を軽くオリーブオイルで炒め、 その上に肉炒めと、 大根の葉っぱと玉ねぎを 炒めたものを乗せる。
横に 塩を振ってオーブンで 焼いた人参を添える。
果たしてこういった 素人料理にも、 何らかの法的権利は発生するのだろうか?
ここではまず、 登録によって権利が発生する、 特許権、実用新案権、商標権などは、次回に回し、 創作すれば登録をすることがなく権利が発生する 著作権について検討してみたいと思う。
著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(2条1項1号)を言う。
ここで重要なのは、 著作物として保護されるのは「創作的表現」であって、 事実や方法、アイデアそのものではないということである。
アイデアは別途特許権実用新案権などで保護の対象となり得る。
〇〇すると旨味が増す、ということに著作権は発生しない。
また、「〇〇年●月△日、□トンネルを抜けると雪景色だった」と言うような 表現に創作性はなく、 事実の記載に過ぎないから著作物ではないであろう。
上の調理方法の記載は、 表現に創作性があるわけではなく、 ただの方法に過ぎないから、 著作物とは言えず 著作権の保護の対象とはならないであろう。
もっとも事実や方法論が、 常に著作物ではなく著作権法の保護の対象とならないわけではない。
例えば、 新聞記事は事実を伝達するものであるから、 著作物ではないのか?
住宅地図は、 事実を記載するものにすぎず、著作物ではないのか?
新聞記事や住宅地図も、 一般的には著作物であると考えられており、 無断利用は著作権侵害となる。
これは新聞記事や住宅地図も、 事実の伝え方、 表現の方法に 差異があるため、 そこに表現の 個性を見出せるが故に「創作的表現性」が肯定される。
料理レシピも、その表現次第では著作物性を肯定できよう。
トンネルと雪景色の事実の伝達も、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」(川端康成 雪国)
という表現であれば、「創作的」表現性はあるだろう。
しかし、事実の伝え方に 広く著作権を認めてしまうと、 事実を伝える報道も日常の報告も、いちいち権利者の許しが必要となり、およそ成り立たなくなってしまう。
料理レシピも、食は生きる手段であるがゆえに、広範に著作物性を認めるわけにはいかないであろう。
そのため事実を伝達する新聞記事等にも著作権は認められるし、料理本のレシピの表現にも著作権は認められ得るが、その保護の範囲は 狭いことになる。
誤解を恐れず言うと、 まるまるパクれば、 著作物の複製であり著作権侵害となるが、 表現方法を少し変えて事実を伝えれば、 著作権侵害とならない可能性が あるということである。
この点は「写真」の 著作物についても同じことが言える。
上で乗っけた「ガスパチョ風」や「変形蒸し炒め」の写真は、 撮影対象の選定や撮影角度、 露出の決め方 などに、 一応僕の個性が表れており、 著作物と言えよう。
したがって、誰かが上の写真を「まるパク」すれば、 著作権法違反となり得る。
しかし、誰かが同じ料理を 別の角度から撮る、 あるいは同じ料理を作って新たに写真を撮る、 ということをすれば、上の写真の著作権を侵害することにはならないものと考えられる。
(誰もまねる気にもならない素人料理だが)
この著作物か否かという問題と、著作物であるとして 保護の範囲は どの程度か、 という問題は、著作権を検討するにあたっては 常に考えなければ ならない問題である。
次回は、 料理のアイデアそのものを 法的に保護しうるか? という点を検討してみたい。
最後に、 法的保護の対象となるかという問題と、 飯がうまいか という問題は 全く関連性がない。
特許権や実用新案権で 保護された、 工業製品としての食品は 数多く存在するが、 それが食の感動をもたらすわけではない。
菊地令比等法律事務所