いいじゃん、パパに助けてもらえば!!(弁護士の使い方)
4歳の息子の一言(弁護士の使い方)
事務所忘年会での一コマ。
子供は飲酒を してはならないという話の中で、
お酒は子供に舐めさせるだけでもダメ、
お酒を飲ませたら捕まっちゃうよ!!
といった母(息子にとってはの祖母)に対し、 4歳の息子が言った一言。
「いいじゃん!!パパに助けてもらえば!!」
僕の仕事をよく見ている。
しかし、これくらい気楽に弁護士を使うことを考えるというのが 実は、最も効果的な弁護士の 利用法でもある。
法律は、社会における紛争を解決する 一つの道具である。
ただ法律が、他の紛争解決の道具と異なるのは、 最終的には国家権力による強制が伴う点である。
嫌でも従わされるという点が法的解決に実効性を与えているのである。
さてその強制は判決によってもたらされる。
しかし、判決を書く裁判官は トラブルの現場を直接見ているわけではないし 直接経験しているわけでもない( 直接事件を見たり聞いたりした裁判官は、 法的にその裁判に関わることはできない、 民訴法23条4項、 刑訴法20条4項)。
裁判は決して大岡越前でも水戸黄門でもない。
判決は、その紛争を体験していない裁判官が証拠によってのみなされる建前である。
そうだとすると、 弁護士の最も効果的な使い方は、 紛争が起こる前にもし万が一紛争が起こった場合にはどのような点が問題になるかを想定し、 証拠を準備しておくというものだ。
これは決して大それたものではなく、ごく些細な 気遣いでできることもある。
例えば、 仕事で度々時間を守らない人との継続的な契約を解消したいと考えたとしよう。
そのような場合遅刻の連絡が電話である場合、 裁判では、そもそも契約を解消の原因となるような 度々の遅刻があったのかどうかが 論点となることがある。
そんな時通話履歴という 証拠だけでは、 それが遅刻の連絡なのか業務の打ち合わせの連絡なのかは 区別できない。
しかしその連絡が LINE で残っていれば、 動かぬ証拠となる。
社会常識という点では遅刻はきちんと電話をすべきと言えるけれども、 紛争化した場合の証拠価値という点では 電話よりも LINE の方が高い。
このようなことは、あらゆる契約やあらゆる紛争に当てはまる。
このような弁護士の使い方が、 長い目で見れば 経済活動にとって ローコストになる。
一方、弁護士にとっては、予防での相談は、ありとあらゆる可能性を考慮しなければならないという点で、 弁護士としてプロフェッショナルスキルが問われる。
逆に裁判になってからの相談は、その段階で残っている証拠で戦うしかないので、検討すべき筋は限られている。
法律相談を単なる受任の機会と捉え、 広告や宣伝を打って 定型的事件の相談を大量に集め、 場合によっては法律相談を無料にし、 着手金と報酬金をしっかりとると言う形も、 弁護士の一つのビジネスモデルなのかもしれない。
しかし顧問弁護士業務や、ご紹介により受ける法律相談では、 出来る限り、火が立つ前に煙を消してしまうという対応が、最もクライアントの利益になるのではないだろうか。
相談で終わるのが、弁護士は最も儲からないが、依頼者には最も利益になるのである。
その代わり法律相談の対価は、顧問料や法律相談料としてきちんと頂戴する。
時代の流行には沿わないかもしれないか、 これが僕の考えるあるべき弁護士としてのビジネスモデルである。
事務所忘年会での一コマ。
子供は飲酒を してはならないという話の中で、
お酒は子供に舐めさせるだけでもダメ、
お酒を飲ませたら捕まっちゃうよ!!
といった母(息子にとってはの祖母)に対し、 4歳の息子が言った一言。
「いいじゃん!!パパに助けてもらえば!!」
僕の仕事をよく見ている。
しかし、これくらい気楽に弁護士を使うことを考えるというのが 実は、最も効果的な弁護士の 利用法でもある。
法律は、社会における紛争を解決する 一つの道具である。
ただ法律が、他の紛争解決の道具と異なるのは、 最終的には国家権力による強制が伴う点である。
嫌でも従わされるという点が法的解決に実効性を与えているのである。
さてその強制は判決によってもたらされる。
しかし、判決を書く裁判官は トラブルの現場を直接見ているわけではないし 直接経験しているわけでもない( 直接事件を見たり聞いたりした裁判官は、 法的にその裁判に関わることはできない、 民訴法23条4項、 刑訴法20条4項)。
裁判は決して大岡越前でも水戸黄門でもない。
判決は、その紛争を体験していない裁判官が証拠によってのみなされる建前である。
そうだとすると、 弁護士の最も効果的な使い方は、 紛争が起こる前にもし万が一紛争が起こった場合にはどのような点が問題になるかを想定し、 証拠を準備しておくというものだ。
これは決して大それたものではなく、ごく些細な 気遣いでできることもある。
例えば、 仕事で度々時間を守らない人との継続的な契約を解消したいと考えたとしよう。
そのような場合遅刻の連絡が電話である場合、 裁判では、そもそも契約を解消の原因となるような 度々の遅刻があったのかどうかが 論点となることがある。
そんな時通話履歴という 証拠だけでは、 それが遅刻の連絡なのか業務の打ち合わせの連絡なのかは 区別できない。
しかしその連絡が LINE で残っていれば、 動かぬ証拠となる。
社会常識という点では遅刻はきちんと電話をすべきと言えるけれども、 紛争化した場合の証拠価値という点では 電話よりも LINE の方が高い。
このようなことは、あらゆる契約やあらゆる紛争に当てはまる。
このような弁護士の使い方が、 長い目で見れば 経済活動にとって ローコストになる。
一方、弁護士にとっては、予防での相談は、ありとあらゆる可能性を考慮しなければならないという点で、 弁護士としてプロフェッショナルスキルが問われる。
逆に裁判になってからの相談は、その段階で残っている証拠で戦うしかないので、検討すべき筋は限られている。
法律相談を単なる受任の機会と捉え、 広告や宣伝を打って 定型的事件の相談を大量に集め、 場合によっては法律相談を無料にし、 着手金と報酬金をしっかりとると言う形も、 弁護士の一つのビジネスモデルなのかもしれない。
しかし顧問弁護士業務や、ご紹介により受ける法律相談では、 出来る限り、火が立つ前に煙を消してしまうという対応が、最もクライアントの利益になるのではないだろうか。
相談で終わるのが、弁護士は最も儲からないが、依頼者には最も利益になるのである。
その代わり法律相談の対価は、顧問料や法律相談料としてきちんと頂戴する。
時代の流行には沿わないかもしれないか、 これが僕の考えるあるべき弁護士としてのビジネスモデルである。