おうちルールを作る(少し法教育)

おうちルールを作る(少し法教育)

7歳の長女と4歳の長男がいる我が家には「おうちルール」といったものが全くない。

一応毎日公文を予定枚数やるだとか、僕が仕事の電話をしている時は事務所で静かにしているべきだとか、緩やかなものはあるけれど、例外が多すぎて家庭生活は、本質的にルール化になじまない。

そうは言っても
① ルールとは何か?
② ルールとはいかに作られるべきか?
を考えることは必要であるから、子どもが「〜しちゃだめ」とか、「〜しなきゃだめ」と言った時は、リベラル・アーツ教育の一環として、子どもとディスカッションするようにはしている。

ここでは、質問、批判、反論、対案を明確に区別して議論しなければならない。

例えば、次の例はどうだろう?

田中くんは、私に嫌がらせをする。
私は、女だ。
だから田中くんは、女に嫌がらせをする。
そこで、、、

「田中くんは学校の女の子に近づいてはならない」

というルールを作ろう!!
という声が上がったと仮定する。

まず、ルール提案者に対してなすべきは「質問」である。
① 嫌がらせとは具体的に何か?
② なぜそれが嫌がらせなのか?
③ 他の誰に同じ嫌がらせをしたのか?
④ それらは女に向けた嫌がらせなのか?

ルール提案者がこれらの質問に答えられない場合、ルールを作る必要性がそもそもないのだから、反論や対案など不要である。

ただ「反対」であると言うか「質問に対する根拠ある回答があるまでは議論しない」と言えばこと足りる。

よく議論の際、反対ばかりしてるとか、対案を出さないのはけしからんと言う人がいるが、質問とその回答状況及び回答根拠の説得力を検討することなくそのようなことをいうのであれば、およそルールとは何かを解さないものであって全く取るに足らない。

質問に対する回答の内容、及び根拠に説得力がない場合、次になすべきは「批判」であろう。

あなたに対する嫌がらせは、女に対する嫌がらせを意味せず、田中くんの「女に対する嫌がらせ」と言う事実は認められない。
などなど。

ここでは、批判とともに反論も必要となるかもしれない。 

例えば、

あなたは「嫌がらせ」の定義について、嫌がらせを受けた側が嫌がらせをされたと感じれば、それは嫌がらせであると言う【被害者主観説】によっている。

しかし、嫌がらせの定義は、その外形的行為に着目した【客観説】を採用すべきである(立論)。
なぜなら、、、(根拠)。

そのような質問・批判・反論のプロセスを経て、「田中くんは女の子に嫌がらせをするから、これを抑止しなければならない」と言うルールの必要性について共通認識が定まってきたとする。

そこでルール化の内容が議論される。

ここで、初めて【対案】が意味を持ってくる。

「田中くんは学校の女に近づいてはならない」
と言うのは、禁止の範囲が広すぎるから
「田中くんはクラスの女に近づいてはならない」
くらいにしておこう、などなど。

質問・批判・反論のプロセスを吟味することなく、対案を出せだとか、反対ばかりしているとか言う人は、この例でいうと、田中くんが女に嫌がらせをしているか定かではないのに、いかに田中くんを女に近づけないかについて対案を出すことを生産的議論だというのうなものであり、滑稽である。

決してこういう大人にならないように、子どもたちには、
【質問】【批判】【反論】【対案】を意識して明確に区別するように誘導し、議論をしている。







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