ノクターンOP 9-2を弾く〜Chopin,ノクターンで考える音楽的著作権〜
ノクターンOP 9-2を弾く
〜ショパン,ノクターンで考える音楽的著作権〜
ノクターンOP9-2を弾いてみた
2020年2月8日、豊川市フロイデンホールにてショパンノクターン OP 9-2を弾いた。
演奏が拙いのは所詮四十の手習いと考え、ご容赦願いたい。
ショパン,ノクターンの音楽史における独創性が比類ないものであることは、論を俟たない。
しかし比類ない独創性を持つショパンのノクターンですら、 その創作は模倣的要素から切り離せない。
ノクターンの語源は、ラテン語のnocturnus(「夜に属する」)で、nox(「夜」)の副詞形noctū (「夜に」)から作られた形容詞である。ショパンは、夜想曲をより自由でロマンティックな楽曲へと発展させた(ここは Wikipedia)。
ショパンのノクターンの初期の3曲、OP9の1から3は、フィールドのノクターンの影響を強く受けていると言われている。
フィールドのノクターンを検索して YouTube で聞いてみると、 確かに曲の雰囲気はショパンのOP9の1から3とよく似ている。
ショパンのOP9の1から3の、 着想やアイデア自体はフィールドのそれに依拠していると言ってもあながち間違いではあるまい。
この事を現在日本の著作権法という観点から見た場合どのようなことが言えるだろうか?
小説の映画など既存の著作物に依拠し、新たな著作物を創作する行為などを翻案と言う。
(翻訳権、翻案権等)
第二十七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。
結論から言えば、 アイデアや発想及び着想などを利用しても 著作権侵害になることはない。
著作権の保護対象はあくまで表現行為である。
事実そのもの、アイデアそのもの、思想そのものを利用したとしても、 それが登録された特許権、実用新案権、意匠権などを侵害することがあり得るにせよ、著作権侵害にはならない。
このことはいわば当たり前であって例えば、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」 が川端康成の創作表現であり著作権法の保護が与えられるとしても、例えばツイッターで「 清水トンネルナウ、抜けたら真っ白」という類の表現が禁止されるわけではないのだ。
技術そのもの、アイデアそのもの、思想そのものが、 著作権によって保護されゆ結果自由に使えないとすると、 例えば、上記のような Twitter 表現すら禁止されることになり、 社会はおよそ立ち行かないであろう。
特許権、実用新案権、意匠権などで保護されない 事実、思想、アイデア、法則、デザインなどは、自由利用が原則であるし、また、 原則であるべきしなのである。
これらは積極的な自由利用こそが芸術や文化の発展、 社会の発展を促すものである。
著作権の保護対象が表現であってアイデアは保護されないということは、著作権制度の国際的かつ基本的な原則であり、アイデアと表現の二分論、または思想と表現の二分論と言われる。
TRIPS 協定9条2項においても、 著作権の保護は表現されたものに及ぶものとし、思想、手続き、運用方法、または数学的概念自体に及んではならない旨規定されている(この部分は、江差追分事件、最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第1小法廷判決の調査官解説を参照)。
このように見ていくとショパンノクターン、初期三作は、 フィールドのノクターンに依拠し、そのアイデア着想を利用しているとは言えるかもしれないが、 フィールドの著作権を観念しても、それがショパンのノクターンに及ばないことは火を見るより明らかである。
さて、ある音楽が、既存の音楽の思想やアイデアや着想を利用したにすぎないのか(著作権侵害なし)、 その表現を利用し二次的創作物を創作したのか(著作権侵害あり)の判断は困難を極める。
上記江差追分事件はこの点について、
1 言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。
2 思想、感情、もしくはアイデア、事実もしくは事件などの表現それ自体でない部分または表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない。
音楽的著作権においても、 この 判断手法によって、 表現上の本質的特徴の直接感得性の有無が判断される。
この件で参考になるのは、 記念樹事件(東京高等裁判所平成12年(ネ)第1516号平成14年9月6日判決)である。
ここでは、羽田健太郎意見書、すぎやまこういち意見書などが参照されながら、メロディリズムハーモニー形式等などの類似性について、特にメロディーの類似性について、極めて詳細に検討判断されている。
〜ショパン,ノクターンで考える音楽的著作権〜
ノクターンOP9-2を弾いてみた
2020年2月8日、豊川市フロイデンホールにてショパンノクターン OP 9-2を弾いた。
演奏が拙いのは所詮四十の手習いと考え、ご容赦願いたい。
ショパン,ノクターンの音楽史における独創性が比類ないものであることは、論を俟たない。
しかし比類ない独創性を持つショパンのノクターンですら、 その創作は模倣的要素から切り離せない。
ノクターンの語源は、ラテン語のnocturnus(「夜に属する」)で、nox(「夜」)の副詞形noctū (「夜に」)から作られた形容詞である。ショパンは、夜想曲をより自由でロマンティックな楽曲へと発展させた(ここは Wikipedia)。
ショパンのノクターンの初期の3曲、OP9の1から3は、フィールドのノクターンの影響を強く受けていると言われている。
フィールドのノクターンを検索して YouTube で聞いてみると、 確かに曲の雰囲気はショパンのOP9の1から3とよく似ている。
ショパンのOP9の1から3の、 着想やアイデア自体はフィールドのそれに依拠していると言ってもあながち間違いではあるまい。
この事を現在日本の著作権法という観点から見た場合どのようなことが言えるだろうか?
小説の映画など既存の著作物に依拠し、新たな著作物を創作する行為などを翻案と言う。
(翻訳権、翻案権等)
第二十七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。
結論から言えば、 アイデアや発想及び着想などを利用しても 著作権侵害になることはない。
著作権の保護対象はあくまで表現行為である。
事実そのもの、アイデアそのもの、思想そのものを利用したとしても、 それが登録された特許権、実用新案権、意匠権などを侵害することがあり得るにせよ、著作権侵害にはならない。
このことはいわば当たり前であって例えば、
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」 が川端康成の創作表現であり著作権法の保護が与えられるとしても、例えばツイッターで「 清水トンネルナウ、抜けたら真っ白」という類の表現が禁止されるわけではないのだ。
技術そのもの、アイデアそのもの、思想そのものが、 著作権によって保護されゆ結果自由に使えないとすると、 例えば、上記のような Twitter 表現すら禁止されることになり、 社会はおよそ立ち行かないであろう。
特許権、実用新案権、意匠権などで保護されない 事実、思想、アイデア、法則、デザインなどは、自由利用が原則であるし、また、 原則であるべきしなのである。
これらは積極的な自由利用こそが芸術や文化の発展、 社会の発展を促すものである。
著作権の保護対象が表現であってアイデアは保護されないということは、著作権制度の国際的かつ基本的な原則であり、アイデアと表現の二分論、または思想と表現の二分論と言われる。
TRIPS 協定9条2項においても、 著作権の保護は表現されたものに及ぶものとし、思想、手続き、運用方法、または数学的概念自体に及んではならない旨規定されている(この部分は、江差追分事件、最高裁平成11年(受)第922号同13年6月28日第1小法廷判決の調査官解説を参照)。
このように見ていくとショパンノクターン、初期三作は、 フィールドのノクターンに依拠し、そのアイデア着想を利用しているとは言えるかもしれないが、 フィールドの著作権を観念しても、それがショパンのノクターンに及ばないことは火を見るより明らかである。
さて、ある音楽が、既存の音楽の思想やアイデアや着想を利用したにすぎないのか(著作権侵害なし)、 その表現を利用し二次的創作物を創作したのか(著作権侵害あり)の判断は困難を極める。
上記江差追分事件はこの点について、
1 言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。
2 思想、感情、もしくはアイデア、事実もしくは事件などの表現それ自体でない部分または表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない。
音楽的著作権においても、 この 判断手法によって、 表現上の本質的特徴の直接感得性の有無が判断される。
この件で参考になるのは、 記念樹事件(東京高等裁判所平成12年(ネ)第1516号平成14年9月6日判決)である。
ここでは、羽田健太郎意見書、すぎやまこういち意見書などが参照されながら、メロディリズムハーモニー形式等などの類似性について、特にメロディーの類似性について、極めて詳細に検討判断されている。