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槍ヶ岳ワンデイ(日帰り登山へのこだわり)

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         槍ヶ岳ワンデイ 槍ヶ岳ワンデイGPSログ 弁護士の仕事は裁判所に行ったりクライアントと打ち合わせをしたりといった業務以外に とにかく手間と時間がかかる。 法律を調べたり書面を書いたりする時間だ。 平日は、裁判所の期日、 クライアントとの打ち合わせ、 その他日常的な庶務雑事で忙殺されるため、 まとまった時間はなかなか取れない。 そうすると しっかりと調べ考え書く業務というのは、 まとまった時間の取れる 休日にやるほかない。 休日2日とも山に使ってしまっては、その週は調べ考え書くための時間がなくなってしまう。 さらに家族の時間もしっかり取りたい。 子どもたちをいろんなところに連れて行ってあげたい。 そうすると、山はいかに日帰りで完結させるかが重要な課題となる。 今回も金曜日の19時まで仕事をして 20時出発、 弁護士の友人と新穂高まで 車を走らせ、 車中で仮眠をした後、 午前3時半起床午前4時出発。 その後はGPSログのとおり13時間30分の山行。 槍ヶ岳は、30km弱の行程、2000m以上の標高差、どこまでも美しい景色と、ワンデイで完全燃焼できる最高の山だ。   

ワインを飲みつつ法を思う

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ワインを飲みつつ法を思う 週末、仕事に追われることが多いけど、今夜は妻と自宅でワインを嗜む余裕ができた。 コラバンシステムを使って、いろいろ少しずつ飲む。 どれも美味しい。 あー美味しかった!! で終わっても良いのだけれど、 ワインの美味しさは人と自然によって作られるものであることを考えると、 刹那快楽主義で終わってしまっては少々惜しい気がする。 もう少し美味しいお酒を作り出した 人と自然に敬意を持つことにしよう。 美味しいお酒を作るのは人と自然であるが、 それがその地域に文化として根付くためには やはり制度的な裏付けを必要不可欠とする。 そうすると、 美味しいワインを飲みながら、 ワインを支える法制度に思いをいたしてみるのも面白い。 古代メソポタミアで生まれたとされるワインは、 エジプトやギリシャで発達し、 ヨーロッパで 洗練を重ねた。 今僕がもっぱら好んで飲んでいるのは、ナパバレーを中心とするカリフォルニアワインである。 ワインをめぐる法規制の歴史は古い。 古代エジプトには原産地呼称制度の原型があったのではないかという説もあるようだし(蛯原健介著・ はじめてのワイン法47頁)、 古代ローマ帝国においては ぶどうの栽培面積を規制することで、 穀物の生産を確保するとともに 粗悪なワインの流通を防止するための「ドミティアヌスの勅令」 といった制度も存在したようだ(同前53頁)。 ヨーロッパにおいてワインは、 原産地呼称制度によって厳格な法的規制がなされている。 この制度は いろいろ問題はあると言われているし、AOCより 美味しいテーブルワインは数多く存在すると聞く(法律の専門家であってもワインのど素人なので詳しくはないが)。 しかし間違いなく粗悪品を排除し、 優れた生産者の情熱や努力の成果を 保護する効果はある。 山梨ワインをヨーロッパに輸出する際に 様々な法的障害が問題となり、 国税庁長官が 地理的表示に「山梨」を 指定したことは記憶に新しい。 また近年同様に「北海道」が指定された。 日経新聞記事 しかし残念なことに、 日本には酒税法はあっても、 酒造りを文化として保護する 酒造法は存在しない。 いちごワイン、梅ワインが堂々と売られている一方、最高の泡盛が泡盛を名乗れない矛盾...

権力への渇望と残酷さの勝利〜新国立劇場「トゥーランドット」

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VINCERO!!  権力への渇望と残酷さの勝利 新国立劇場「トゥーランドット」 指揮は大野和士新国立劇場オペラ芸術監督 管弦楽はバルセロナ交響楽団 演出はアレックスオリエ Nessun dorma! Nessun dorma! Tu pure, o Principessa,  nella tua fredda stanza guardi le stelle  che tremano d'amore e di speranza… 誰も寝てはならぬ! 誰も寝てはならぬ! 御姫様、あなたでさえも、 冷たい寝室で、 愛と希望に打ち震える星々を見るのだ… Dilegua, o notte! Tramontate, stelle!  Tramontate, stelle! All'alba vincerò! Vincerò! Vincerò! おお、夜よ去れ! 星よ沈め! 星よ沈め! 夜明けと共に私は勝つ! 私は勝つ! 私は勝つ! あらゆるオペラの中で最も有名ではないかと思うこの歌は、トゥーランドットという物語の中で聴くと 僕は驚くほど共感できない。 「美しいトゥーランドット姫に求婚する男は、彼女の出題する3つの謎を解かなければならない。解けない場合その男は斬首される」 亡国の王子カラフは一目見てその美しさの虜となり、自らが新たな求婚者となることを宣言する。 果たしてカラフは、謎をことごとく打破する。トゥーランドット姫は父皇帝に「私は結婚などしたくない」と哀願するが、父皇帝は「約束は約束」と娘の要求を拒絶する。 カラフはトゥーランドットに対して「それでは私もたった一つの謎を出そう。私の名は誰も知らないはず。明日の夜明けまでに私の名を知れば、私は潔く死のう」と提案する。 北京の街にはトゥーランドット姫の命令が下る。「今夜は誰も寝てはならぬ。求婚者の名を解き明かすことができなかったら住民は皆死刑とする」 カラフはここで、 「Nessun dorma!〜  All'alba vincerò!  Vincerò!  Vincerò!」 と歌い上げる。 しかし、カラフの亡国の...

料理と法律②

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料理と法律② 僕が唯一 自分で作って自分で美味しいと感じられる料理が「カレー」である。 炒めて煮る。 ある時美味しいカレーを作りたいと思い立ち、カレーや香辛料に関する書籍や文献を渉猟し、 その情報を適宜取捨選択しながらで試行錯誤を繰り返し、 ある程度自分でも納得できる味に仕上がった。 アイデアと知識と情報があれば、 素人レベルでは、十分美味しいカレーができた。 法律家は紛争解決するために、 法律以外の広く浅い知識を必要とする。 車両の破損状況などから進入角と速度を推定するため、 質量保存の法則やエネルギー量保存の法則 現場に遺留された痕跡と被告人との結びつきを示すDNA鑑定など 毒物の分析に必要となる、NMRやLCMSなどの成分分析 法律家はそれらに関する専門知識はなく、自分で実験などができるはずもないが、 事件で必要となった時は、専門家の意見を聞き、専門書や論文などを読みまくって、 素人的に料理をして文章を書き上げる。 自分で書いていて牽強付会であると思うが、 意外とカレー作りに似ている。 さて美味しいカレー作りに不可欠な、 香辛料の配合などは立派なアイデアである。 このアイデアに法的保護は与えられるのだろうか? 料理と法律①で書いたように、 著作権法で保護するのは表現であり、アイデアそのものには、著作権法上の保護は与えられない。 アイデアに対する保護は、 特許権ないし実用新案権を 検討することになろう。 特許は、発明者に対し、その発明公開の引換に、その発明の独占権を与える制度であり、発明とは「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」(特許法第2条)と規定されている。 実用新案も「自然法則を利用した技術的思想の創作」(実用新案法第2条)である考案を保護ものであるが、保護の対象が「物品の形状、構造又は組合せに係る考案」(実用新案法第3条)とされている。 発明の対象とする特許が 特許庁による実質審査がなされるのと異なり、考案を特許制度よりも早期に簡易に保護できる制度となっている。 料理のアイデアであっても要件を満たせば、 特許あるいは実用新案を対象となりうる。 しかし大抵の料理のアイデアは、 特許あるいは実用新案の要件であるところの、「新規性・進歩性」を満たさないだろう。 そして、特許権...

エルサレムのアイヒマン ー 悪の陳腐さについての報告ー

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エルサレムのアイヒマン ー 悪の陳腐さについての報告ー 時に法律書以外の本を読みたくなる。 ということで、 2019年ゴールデンウィーク10連休の二日目は、ハンナ・アーレントの「エルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告ー」を通読してみた。 アドルフアイヒマンは、ナチス政権下のドイツの親衛隊将校。「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。 戦後モサドによってイスラエルに連行され、 エルサレムでの裁判によって死刑判決を受け、 1962年6月1日刑死する。 イスラエルの政府や その意を受けた検察官は、 ユダヤ人の虐殺という世界史上の犯罪に関わったアドルフ・アイヒマンが、 いかに悪魔的で残虐で 非人間的な怪物であるかを強調し、人類の敵である悪魔を断罪することこそ 正義にかなうことである ことを明らかにしようとする。 しかし、ハンナ・アーレントによる「エルサレムのアイヒマン」では、 ユダヤ人の大量虐殺に関わったアイヒマンが、 あくまでも何でもなく、どこにでもいるような凡人であるかが克明に描写されていく。 このアーレントの指摘は意外でも何でもない。 現代社会においても 凶悪な犯罪が起こると、 そのものがいかに我々から「隔絶された」 非人間的な人物であって これを断罪することこそが正義にかなう と言う 声はよく聞かれる。  しかし時に被告人と数年に及ぶ裁判を行う過程で繰り返し繰り返しコミュニケーションをする弁護士としては、 凶悪犯と言われる被告人も、ただの人であると思うのである。 アーレントの次の指摘は 非常に具体的である。 「ハウスナー氏の雄弁が華々しくなるにつれ、ガラス箱の中に見える顔はますます蒼ざめ、ますます幽霊のように見えてきた。「これらすべてを行なった怪物がそこに座っている」と指差して叫ばれても、その顔に生気はよみがえらなかった。 ベン・グリオンの意図や検察側のすべての努力にもかかわらず、やはり被告席に座っている一人の人間、血の通う肉体をもつ人間が存在したのだ。」( 第一章 法廷) 「アルゼンチンやエルサレムで回想録を記しているときでも、警察の取調官に、あるいはまた法廷でしゃべっているときでも、彼の述べることはつねに同じであ...

シンデレラ(新国立劇場バレエ)

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シンデレラ(新国立劇場バレエ)2019.4.27 2019.GW10連休の初日は、新国立劇場にて、妻と7歳の長女とバレエ「シンデレラ」を観劇した。 僕にとってはプロコフィエフの音楽は捉えどころのないものなのだが、踊りと共に聴くと、なるほど一つ一つの音に意味があり、所作と結びつき、こんなにも美しいのかと感じ、とても新鮮な思いがした。 僕の美的感覚もまだまだ未熟で発展途上にあるようだ。 冨田実里さんの指揮、東京フィルの音楽も素晴らしいが、終演後に心の底からの幸福感に満たされたのは、特に主役シンデレラを演じた米沢唯さんによる。 バレエについては僕は的確に語りうる言葉を持たない。 ただ、一挙手一投足をここまで美しくすることができるのか、、、、と感動する。

なぜ「悪い人」のために頑張るの?

なぜ「悪い人」のために頑張るの? 家族団欒を切り上げて 警察署へ向かう 僕に対し 質問が投げかけられる。 長女7歳,そばで僕の仕事を見ていて,いつか聞かれると思っていたけれど,意外と早かった。 そこで,こんな質問をして見る ①2年3か月前の土曜日、パパのものを壊したよね。壊してないんなら、その証拠を見せてよ。証拠を見せられないから壊したってことでいいね!! ②壊す前から、いつも乱暴に扱ってたよね。いつ壊れても良いと思ってたんだよね。乱暴に扱ってない、壊れても良いと思ってなかったならその証拠を見せてよ。証拠を見せられないなら乱暴に扱って壊れても良いと思ってたってことでいいね!! こんな時、違うよ!!と言ってくれる人、本当にいらないのかな? 疑われた人が、自分が壊してないことを証明しないと壊したことになってしまって本当に良いのか? 疑われた人が、自分が乱暴に扱っていなかったこと壊れても良いと思っていなかったことを証明しないと重い罪になってしまって本当に良いのか? 疑わしいだけの時は、その人がやったとは考えない方がいいんじゃないの? 疑わしいだけの時は、その人を重く罰しない方がいいんじゃないの? そうであれば「疑わしきは被告人の利益に」の原則を貫くべきである。 刑事裁判の対象は常に過去にあった事実の存否であり、 判断する人(裁判官と裁判員)はその場面を 見ていないし経験もしていない。 裁判は決して水戸黄門でも大岡越前でもない。 冤罪は量刑でも起こりうる(上の例だと、普段から乱暴に扱っていたか?、普段から壊れてもいいと思っていたか?)。 刑事裁判が過去の事実の存否を証拠によって復元していく作業である以上、 その復元は一方的であってはならない。 そう考えればすべての事件に弁護人が 必要だと 言えないだろうか。 僕の経験上、無罪判決に対する 世論の批判以上に、 裁判の量刑が軽すぎる という世論の批判が 多いように思う。 悪い事をやったことは確実なんだから軽すぎると。 しかし疑わしいだけで 証拠上認定できない事実を 量刑の基礎にしてはならない。 また、量刑は証拠上疑いなく 認定できた 行為と結果によって、概ね決定されなければならない。 なぜなら、法律が行為と結果によって量刑を定めている以上、 行為と結果に釣り...