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虚偽自白の心理(1)

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私が弁護人の1人を務める、ある再審事件の関係で、我が国における供述心理学の第一人者である浜田寿美男先生のお話を聞く機会があった。 もちろん、著書は購入し読んでいる。 しかし、本を読むのと直接お話を聞くのでは、得られるものが桁違いだ。 浜田教授の言う、『無実の人ほど、虚偽の自白に陥りやすい面がある』という点は、刑事弁護に携わっている実感としては、これまでもあった。 しかし、なぜそうなのかはこれまで真剣に考えたこともなかった。 無実の人が取調室で陥る心理状態は、 『何を言っても一切聞いてもらえない。』 というものであり、これが密室で、1日何時間も23日間続くのである。 一方真犯人が取調室で否認する心理状態は、 『聞いてもらえなくて当たり前』 と言うものだ。 どちらが心理的に『落ちやすい』状態と言えるか? 取調のプロである警察官、検察官に、素人が『弁解』というコミュニケーションによって対抗しようとするのは、至難の技だ。 それこそ、私は、素人がダルビッシュの球を打返すようなものだと思っている。 だからこそ、憲法及び刑事訴訟法で保障されている『黙秘権』と言う、一切のコミュニケーションを遮断することができる権利が重要なのだ。 しかし、23日間、目の前にいる人と、コミュニケーションの一切を遮断できる強さを持った人がどれほどいるだろう? 〜続く〜

ワーグナー 「ニーベルングの指輪」第1日「ワルキューレ」

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ワーグナー 「ニーベルングの指輪」第1日「ワルキューレ」 ワーグナー「ニーベルングの指輪」第1日「ワルキューレ」は,ワーグナーの全楽劇の中でも,特に好きな作品だ。 これまで,何度も生で見ているけれども,何度見ても感動を新たにしている。 バイエルン国立歌劇場,ズービンメーター指揮 「ワルキューレ」 この時は,歌劇場のストライキ中で大道具等がなく,随分簡素な舞台だった。 メトロポリタン歌劇場 ジェイムスレヴァイン指揮 「ワルキューレ」 プラシドドミンゴ,ジェイムスモリスと言った,大御所による重厚な舞台だった。 昨年は, 新国立劇場 飯守泰次郎音楽監督が指揮する「ワルキューレ」。 生で見たワルキューレの中では,これが一番気に入っている。 ウィーン国立歌劇場 アダムフィッシャー指揮「ワルキューレ」 オーケストラの美しさは,さすがウィーンフィルハーモニーの母体,ウィーン国立歌劇場管弦楽団だ。 昨年は,ワルキューレを2回も見ることができた,とても幸せな年だった。 10代から20代の頃は,とにもかくにも第1幕,ジークムントとジークリンデの,兄妹の破滅的で美しい愛の二重唱だった。 「Was je ich ersehnt,ersah ich in dir     in dir fand ich,was je mir gefehlt!」 (これまでわたしが焦がれたものをあなたの内に見出し  わたしに欠けていたものをあなたに見つけた)(意訳) と言った,ふたつの人格が溶けてひとつになるような強烈な言葉と音楽に一番こころを奪われていた。 しかし,30代になり,娘ができると,ワルキューレの中でも,涙する場面は変わってくる。 主神ヴォータンが,自らの背いた愛娘ブリュンヒルデから,神性を剥奪しヴァルハラから追放し,眠りにつける。その周りに,真の英雄しか超えられない炎の壁を巡らせる。 最後に,ヴォータンは眠りにつけるブリュンヒルデに語り掛ける。 「ein brautliches Feuer soll dir nun brennnen wie nie einer Braut es gebrannt!」 「Denn einer nur freie die Braut,derfreier als ich,der Gott!」 (花嫁