投稿

3月, 2019の投稿を表示しています

なぜ「悪い人」のために頑張るの?

なぜ「悪い人」のために頑張るの? 家族団欒を切り上げて 警察署へ向かう 僕に対し 質問が投げかけられる。 長女7歳,そばで僕の仕事を見ていて,いつか聞かれると思っていたけれど,意外と早かった。 そこで,こんな質問をして見る ①2年3か月前の土曜日、パパのものを壊したよね。壊してないんなら、その証拠を見せてよ。証拠を見せられないから壊したってことでいいね!! ②壊す前から、いつも乱暴に扱ってたよね。いつ壊れても良いと思ってたんだよね。乱暴に扱ってない、壊れても良いと思ってなかったならその証拠を見せてよ。証拠を見せられないなら乱暴に扱って壊れても良いと思ってたってことでいいね!! こんな時、違うよ!!と言ってくれる人、本当にいらないのかな? 疑われた人が、自分が壊してないことを証明しないと壊したことになってしまって本当に良いのか? 疑われた人が、自分が乱暴に扱っていなかったこと壊れても良いと思っていなかったことを証明しないと重い罪になってしまって本当に良いのか? 疑わしいだけの時は、その人がやったとは考えない方がいいんじゃないの? 疑わしいだけの時は、その人を重く罰しない方がいいんじゃないの? そうであれば「疑わしきは被告人の利益に」の原則を貫くべきである。 刑事裁判の対象は常に過去にあった事実の存否であり、 判断する人(裁判官と裁判員)はその場面を 見ていないし経験もしていない。 裁判は決して水戸黄門でも大岡越前でもない。 冤罪は量刑でも起こりうる(上の例だと、普段から乱暴に扱っていたか?、普段から壊れてもいいと思っていたか?)。 刑事裁判が過去の事実の存否を証拠によって復元していく作業である以上、 その復元は一方的であってはならない。 そう考えればすべての事件に弁護人が 必要だと 言えないだろうか。 僕の経験上、無罪判決に対する 世論の批判以上に、 裁判の量刑が軽すぎる という世論の批判が 多いように思う。 悪い事をやったことは確実なんだから軽すぎると。 しかし疑わしいだけで 証拠上認定できない事実を 量刑の基礎にしてはならない。 また、量刑は証拠上疑いなく 認定できた 行為と結果によって、概ね決定されなければならない。 なぜなら、法律が行為と結果によって量刑を定めている以上、 行為と結果に釣り

非弁行為と否認(司法書士の過払金報酬を否認した例)

非弁行為と否認(司法書士の過払金報酬を否認した例) 弁護士と他士業の方々とは,よい協働関係にあり,私も他士業の仲間に仕事をお願いするし,お願いもされる良い関係を築いている。 しかし,時に徹底的に闘わなければならないこともある。 以下は,私が,破産管財人を務めた時の,とある事例。 (最判平成28年6月27日以前の事例) 破産管財人は,破産者の財産を調査し換価した上債権者に配当するとともに,破産者の経済的再生のため免責を認めてよいか調査する。 ある破産者が,破産に先立ち,とある司法書士に依頼し,サラ金X社から「140万円」を大きく超える過払金を回収し,回収額の約25%を自らの報酬とした上,残りを破産手続費用に充てている事例があった。 認定司法書士の簡裁民事訴訟代理権の範囲は「訴訟の目的の価額」が140万円を超えない範囲とされており(司法書士法3条1項6号),裁判外での交渉の場合も同様である(司法書士法3条1項7号)。 その司法書士が行った140万円を超える過払金回収の回収は,司法書士が行いうる範囲を超えており,弁護士法72条違反である疑いが強い。 (非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止) 第七十二条 弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。 直ちに破産者と面談し,司法書士が行った業務の内容に関し,供述書を作成した。破産者は,過払金をしっかり取戻してくれた司法書士にとても感謝をしているようであり,後から供述を覆されるおそれもあったため,聴取の全過程を録音した。 その上で,その司法書士に対し,当該司法書士の行為は弁護士法72条違反であり,報酬の取得約25%の報酬を認めない旨内容証明郵便で通知した。 最終的には,破産手続の迅速性との関係から,いくばくかの「文書作成料」のみ報酬と認め,約25%の大半を取戻して和解をした。 その取戻した分は,破産債権者への配当に充てられた。 同様の事例で,司法書士が,200万円近い過払金を回収し,50

料理と法律①

イメージ
料理と法律① マキャベリの「君主論」に次の一節がある。 「アカイアの君主フィロポイメンについては、従来、著述家からいろいろの賛辞が寄せられたが、とりわけ彼が平時にあっても、戦術のことしか念頭になかった点がほめられている。友人と野外にでかけたとき、彼はたびたび立ちどまって、こう論じあったという。(中略)彼は、こうしてたえず反省を繰り返したから、自分で軍隊の指揮をとったとき、どんな突発的な出来事に遇っても、いちども対策に窮することがなかった。」(中公文庫 池田廉訳) これを法律家に適用すれば、いついかなる時も、たとえ家で料理を作っている時でも、「法的に」考えることを怠らないことになろうか。 一品目は「ガスパチョ風」 焦がしパン粉を使うのが、僕好みである。 二品目は、「変形蒸し炒め」 蒸した大根の表面を軽くオリーブオイルで炒め、 その上に肉炒めと、 大根の葉っぱと玉ねぎを 炒めたものを乗せる。 横に 塩を振ってオーブンで 焼いた人参を添える。 果たしてこういった 素人料理にも、 何らかの法的権利は発生するのだろうか? ここではまず、 登録によって権利が発生する、 特許権、実用新案権、商標権などは、次回に回し、 創作すれば登録をすることがなく権利が発生する 著作権について検討してみたいと思う。 著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」(2条1項1号)を言う。 ここで重要なのは、 著作物として保護されるのは「創作的表現」であって、 事実や方法、アイデアそのものではないということである。 アイデアは別途特許権実用新案権などで保護の対象となり得る。 〇〇すると旨味が増す、ということに著作権は発生しない。 また、「〇〇年●月△日、□トンネルを抜けると雪景色だった」と言うような 表現に創作性はなく、 事実の記載に過ぎないから著作物ではないであろう。 上の調理方法の記載は、 表現に創作性があるわけではなく、 ただの方法に過ぎないから、 著作物とは言えず 著作権の保護の対象とはならないであろう。 もっとも事実や方法論が、 常に著作物ではなく著作権法の保護の対象とならないわけではない。 例えば、 新聞記事は事実を伝達するものであるから、 著作物ではないの