投稿

11月, 2017の投稿を表示しています

新国立劇場【椿姫】

イメージ
新国立劇場【椿姫】 なぜ、地元の豊橋から、何度も、何度も、初台の新国立劇場に通い詰めるのか。 総合芸術であるオペラは、詩・ドラマ・衣装・マイム・器楽・ダンス・歌といった芸術分野の成功した結合の典型として示され、それぞれの芸術が単独でなし得る以上に、よく見 通す目と豊かな表現力を有している。 そんな、総合芸術であるオペラに、僅かに、ほんの僅かにでも貢献したいと考え、新国立劇場の賛助会員になっている(新国立劇場のプログラムにも僕の名前が載っている)。 贅沢な遊びではあるけれど、子供達にも是非触れて欲しい。 この舞台が完成させるまでに費やされた膨大な時間と労力、そして費用。総合芸術によって得られる感動は、テーマパーク等でアトラクションを消費するだけの底の浅い遊びとは、質的に異なる。 さて、今回の椿姫(ラ・トラヴィアータ)、主演のイリーナ・ラングの圧倒的な歌唱と名演に涙が止まらなかった。 ヴィオレッタの歌、揺れ動く心は、このオペラで愛娘に聴かせたい。 芸術の美によって、普通の人生では感じ得ない情動を我が心に取り込み、精神の涵養して欲しいと、心から願っている。 愛に落ちることに葛藤する高級娼婦の心理は、子どもには、まだ難しいかな、、、、。

新国立劇場【神々の黄昏】

イメージ
ワーグナーの楽劇【ニーベルングの指輪】も、この【神々の黄昏】で最後を迎える。 飯守泰次郎オペラ芸術監督の、ニーベルングの指輪を心ゆくまで味わえたことは、これ以上ない幸せだった。 でも、もう一度、4夜16時間に及ぶ、この音楽劇を、飯守泰次郎監督の指揮で聴き通したい。 今回の神々の黄昏は、オーケストラも歌手も、当代最高峰の素晴らしいものだった。 オーケストラは、満を持してというべきか、読売日本交響楽団。 ジークフリートは、当代最高のヘルデンテノールである、ステファン・グールド。 ブリュンヒルデは、ペトラ・ラング。昨年のウィーン国立歌劇場の【ワルキューレ】でジークリンデを歌った。 何より嬉しかったのが、ヴァルトラウテを歌った、ヴァルトラウト・マイアー。 僕が、まだ青春だった頃、ユースホステルに泊まって、ヨーロッパのオペラハウスを旅をして、一番安いチケットを買っては観劇していた時、よく見た。 ズービン・メーター指揮のバイエルン国立歌劇場で観た【ワルキューレ】のジークリンデ、ダニエル・バレンボイム指揮のベルリン国立歌劇場で観た【トリスタンとイゾルデ】のイゾルデ。 「ワーグナーの音楽は、これまで何らかの形で禁じられていたものの 放埓な言明であり、それゆえ、我々が皆心の奥で望みながら現実の世界ではいきることのでき ない、情動の赴くままの生―我々のもっとも情熱的な欲望やその表現が制限されることのない 生、情動が好き勝手振る舞えばこうもあろうかと思われる生―を与えてくれる、ということで ある。ワーグナーの音楽の魅力は実人生では決してかなわない我々のもっとも内なる願いを、芸術 と言う形で叶えてくれる点にある。それゆえにこそ、ワーグナーの音楽には可能性の限界を超え、聴く者の意識を拡張してくれるように思われる。」(ブライアンマギー「ワーグナーとは何か」) 【神々の黄昏】の終末で奏でられる、軋みをあげて荒れ狂うオーケストラ、自分と共に世界を燃やし尽くす音楽。焼き尽くされた世界に奏でられる、控えめな、「愛と救済」の旋律、、、、、、。 いつまでも、いつまでも、いつまでも劇場の只中で聴き続けていたい。