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ワインを飲みつつ法を思う

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ワインを飲みつつ法を思う 週末、仕事に追われることが多いけど、今夜は妻と自宅でワインを嗜む余裕ができた。 コラバンシステムを使って、いろいろ少しずつ飲む。 どれも美味しい。 あー美味しかった!! で終わっても良いのだけれど、 ワインの美味しさは人と自然によって作られるものであることを考えると、 刹那快楽主義で終わってしまっては少々惜しい気がする。 もう少し美味しいお酒を作り出した 人と自然に敬意を持つことにしよう。 美味しいお酒を作るのは人と自然であるが、 それがその地域に文化として根付くためには やはり制度的な裏付けを必要不可欠とする。 そうすると、 美味しいワインを飲みながら、 ワインを支える法制度に思いをいたしてみるのも面白い。 古代メソポタミアで生まれたとされるワインは、 エジプトやギリシャで発達し、 ヨーロッパで 洗練を重ねた。 今僕がもっぱら好んで飲んでいるのは、ナパバレーを中心とするカリフォルニアワインである。 ワインをめぐる法規制の歴史は古い。 古代エジプトには原産地呼称制度の原型があったのではないかという説もあるようだし(蛯原健介著・ はじめてのワイン法47頁)、 古代ローマ帝国においては ぶどうの栽培面積を規制することで、 穀物の生産を確保するとともに 粗悪なワインの流通を防止するための「ドミティアヌスの勅令」 といった制度も存在したようだ(同前53頁)。 ヨーロッパにおいてワインは、 原産地呼称制度によって厳格な法的規制がなされている。 この制度は いろいろ問題はあると言われているし、AOCより 美味しいテーブルワインは数多く存在すると聞く(法律の専門家であってもワインのど素人なので詳しくはないが)。 しかし間違いなく粗悪品を排除し、 優れた生産者の情熱や努力の成果を 保護する効果はある。 山梨ワインをヨーロッパに輸出する際に 様々な法的障害が問題となり、 国税庁長官が 地理的表示に「山梨」を 指定したことは記憶に新しい。 また近年同様に「北海道」が指定された。 日経新聞記事 しかし残念なことに、 日本には酒税法はあっても、 酒造りを文化として保護する 酒造法は存在しない。 いちごワイン、梅ワインが堂々と売られている一方、最高の泡盛が泡盛を名乗れない矛盾