弁護士は科学的証拠にいかに向き合うべきか?
弁護士は科学的証拠といかに向き合うか? *分かりやすさのため一定程度正確性を犠牲にしています。予めご了承ください。 弁護士が「科学」にいかに向き合うか?その思考の一端を紹介したい。 (事例1 DNA鑑定の証拠力) とある自動車事故で,事故を起こした自動車を運転していたのが,Aさんか,それとも,同じ車に乗っていたBさんかが問題となった。 その交通事故の際に,エアバッグが開いており,そのエアバッグから,AさんのDNAが検出された。一方,このエアバッグからBさんのDNAは「不検出」であった。 この場合,エアバッグ中央部分から,AさんのDNAが検出された事実は,Aさんが自動車を運転していたことを推認する事実と言えるのであろうか? さて,裁判員裁判で,はじめてDNA鑑定に触れる方々が, AさんのDNA検出,BさんのDNA不検出 ,という証拠書類を見ると,即座に,「Aさんが自動車を運転していた」という判断に傾きがちなのではないだろうか? しかし,この「不検出」は,非常にくせものである。 現在のDNA型検査は,15座位のSTRと性別判定用のアメロゲニン遺伝子の検査を組み合わせたキットを使用するのが一般的である。 そして,この15座位のSTRにおいて,現場に残されていたDNA型とAさんのDNA型が一致した時,AさんのDNAが検出されたと扱われる。 そうすると,BさんのDNAが不検出とされていても,15座位のSTRの内,少なくとも1座位以上の,BさんのSTRが検出されていれば,BさんのDNAがエアバッグに付着した「可能性」は否定できないことになる。 さらに,15座位の内,1座位以上のSTRが「検出」されたか否かの判断も,実は流動的である。 検出されたか否かの判断は,エレクトロフェログラム(電気泳動像)を判別して行われる。 この場合,ピークが一定の判断者が定める一定の基準に達していなければ,BさんのSTRを示すピークがあったとしても,BさんのSTRは「不検出」と扱われる。 犯行現場に残されていたDNAがごく微量であれば、いくらPCR(ポリメラーゼ・チェイン・リアクション)で増幅を重ねようが、一定の基準を超えないことは珍しいことではない。 しかし、検出の基準を下げればよいわけでもない